3.危険か冒険か「…石川、さん?」 久々の休日。 けれど休みの重なる友人もおらず、本当に久し振りに一人で街を歩いていた時、不意に掛けられた耳慣れない声。 訝しく振り返れば、やはりそこには見慣れない青年の姿。 青年――否、まだ少年といってもいいような。 長めの明るい金めいた髪に、整った容貌。 ジャケットにシャツ、ジーンズといったラフな格好に、相手に警戒心を抱かせることのないような、人懐っこい笑顔が、青年というよりも幼いイメージ。 幾度記憶を反芻しても見覚えは、ない。 「……君は?」 「初めまして、ではないんですけど、覚えてらっしゃらないと思います。結城シンと言います。石川悠さん」 抱きにくい警戒心を瞳に映して問うた石川に、結城と名乗った少年は相変わらずの笑顔で答えた。 「アジサイ園を、覚えてらっしゃいますか?」 誘われて入った、表通りに面した、けれどあまり目立たない喫茶店。 知らない人物についていくなとは友人達が口を酸っぱくし、また石川も耳に胼胝ができるほど聞かされていることだが、石川はあえて結城の誘いに乗った。 理由のひとつは、結城が名乗ったこと。 もうひとつは、その喫茶店が幾度か西脇につれられて入ったことのある所だったこと。 それでも、それを彼の友人達が聞いたなら頭を抱えたことだろうが。 奥まった、入り口からは窺えないボックス席。 警戒を解けずにいる石川に結城が話を切り出したのは、頼んだコーヒーが運ばれてから。 「アジサイ園?」 聞き覚えのあるようなその響きを反芻しながら、石川はわずかに首を傾げる。 それから、ああ、と思い当たったように声。 「…確か、私設の児童養護施設…?」 「私設というか…。野党議員が中心に費用を出しているので微妙なところな んですけどね」 あなたのお父上も、と。 続けられるのに、石川が浅く頷く。 「ああ、うん。覚えてる。…父が、時々視察に行っていた施設の一つだ」 俺も、時々ついて行ってた。 続けられる言葉に、結城も軽く頷く。 「ええ。ほとんどの議員が年に1度もこればいい方だったのに、石川議員は半年に1度か2度はいらしてましたよね。石川さんも、いらしてたのを覚えてます」 石川さんは、目立ってましたし、と。 笑み交じりに告げられるその言葉に、ひとつの答え。 「じゃあ、」 「はい。俺も、あそこの出身です。…まあ、色々あって俺は大分小さい頃に出ちゃってるんですけど」 わずかに、愁いを帯びた表情。 けれど戸惑うように石川が表情を変えるより先に、それは跡形もなく明るい笑みに払拭される。 「まあ、それはどうでもいいんですが」 「……?」 「俺が石川さんに声をかけたのは、別に懐かしかったからじゃないですよ。勿論ね」 雰囲気が、変わる。 髪色に合った明るい色の眸に、猫のように悪戯で、どこか油断ならないような笑み。 つられるように、石川の琥珀に似た色合い瞳が、厳しい光を浮かべる。 「情報を1つ、『差し上げ』に」 揺らがない笑みのまま、結城はそう切り出した。 「なあ、俺がいなくなったらどうする?」 カーテンを開くために近寄った窓辺。 ふと思いついて、ベッドの上で未だ夢うつつといった風情の相手を肩越し に振り返って。 結城シンと、名乗ったあの少年に出会って暫く経った頃。 問いに求めた答えは、未だによく分からないのだけれど。 「は?」 返った答えに、苦笑。 けれどそれは、当然といえば当然の返答だろう。 一度首を戻して、閉ざされたままの分厚いカーテンを勢いよく開く。 溢れるように降り注ぐのは、まばゆく明るい陽の光。 光に慣れない目が焼かれそうになるのを再度振り返ることで避け、眩んだ視線の先の珍しいまでの相手の無防備さに、小さく笑み。 「石川」 眩しげに眇められた瞳。 名を呼ぶ声が、寝起きのためにどこか甘く掠れるよう。 手招く相手に、素直に近付く。 それが短い別れの、最後の。 |