擬似世界




「千艸?」

 名を呼ばれる。
 何の気負いもなく、裏も表も意図もなく、ただ自分を呼ぶ声。

「何?」

 自然笑みを浮かべて、問い返す。
 自分にとっては見飽きるほどに見慣れた世界で。
 けれど彼にとっては見知らぬ世界で、見知らぬものに囲まれていて。

 それでも。

 何者にも侵されない。
 変わらない。

 本質ではなく、彼そのものが。

「ん…いややっぱ何でもない」

 何か言いかけて、けれど一度首を傾げるだけで言葉を続けることなく綺麗に笑う。

 強く、真っ直ぐに、限りなく綺麗に。

「羅貫」
「え?」

 伸ばした腕に、温もり。

「ちょ、千艸!」

 焦ったように声を上げて、突然に与えられた温もりから逃れようとする少年を、けれど男は暫く離す気はないらしい。


「……羅貫」

 
 どうしようもなく。
 彼だけが自分の中の中心になっていくのが。

 解っていても止められず。


 止めようとも思えない。

日記ss再録.