廻り契り 君に廻る




「どこまで『生きられる』つもりだ?お前は」





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「約束、ね」
 何かを確かめるように、口の中で言葉を転がす。
 それは自ら放った言葉であり、また相手から返された言葉でも、ある。
 音もなく吹き抜ける強い風に、首筋にかかっていた髪が一瞬視界を遮るよう。
 厭わしくその淡い色の髪を掻き遣れば、目の前の相手は血と土埃に塗れた黒髪が乱されるのも、着物の裾が崩れ翻るのも気にかける様子無くひたと此方を見据えるまま。
 薄闇の中、光が強いわけでもなく、けれどその漆黒の瞳は強い。
「何だ?」
 呟く強さだった声は、けれど然程距離のない相手に届いたようで。
 人形の様に整った顔が、怪訝に歪む。
「いや。…矢張り、忘れていい」
 自ら提示した約定をふざけるでもなく撤回して見せれば、幼く整った容貌が更に不審に歪められる。
「…どういう意味だ?」
「そのままの意味だが。先刻の事は、忘れて構わない」
「…何でだ?」
 飾ることなく返される言葉は、幼い声にもその人形めいた容貌にも身に纏う大柄の振袖にもそぐわぬもの。
 けれど違和感無く馴染むのは、恐らくそれら全てを裏切るような、ぬばたまの瞳の強さ。
 それを強く跳ね返すでもなく、さりとて受け流すわけでもなく色素の薄い切れ長の瞳で受け止めて、数拍の間の後男は徐に口を開く。

「お前はどこまで生きられるつもりだ?」

 それは問いだったのか。
 確認だったのか。
 それとも単なる、戯れの言葉だったのか。
「……意味が分からない」
 不可解だと、声が表情が訴えかけてくるのに、男は薄い笑みを浮かべるのみ。
「構わないと、いうことだ」
 忘れても、と。
 繰り返す男に、けれど納得する風も、だがそれ以上反駁の言葉を上げることもなく。
 探るように深いぬばたまの瞳。
 それを避けるように、白い服の裾を翻して男は踵を返した。





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「どういう意味だったんだ?」
 日の光の降り注ぐ部屋。
 うつらうつらとしていたはずの信乃が思いがけずしっかりとした口調で問い掛けてくるのに、莉芳は書類に落としていた顔を上げる。
 見据えてくる瞳が、強い。
 それはあの頃と何一つ変わる風も無く。
 強く、けれど光が強いわけでなく、切り込んでくるような。

 変わらないのは、何もそればかりのことではないが。

「何の話だ?」
「5年前、アンタは俺に『生きられるつもりか』と聞いただろう?」
 あの頃とは異なる短い黒髪が、明るい陽光に強く光を弾く。
 ぬばたまの双眸が、強い。
 莉芳は流した瞳を瞬間見交わさせてから、再び書類に目を落とす。
 そして。
「そうだったか?」
 嘯く言葉が、皮肉げでもなく紡がれる。
「オイっ!!」
 がたり、と大きな音を立てて椅子から信乃が立ち上がる音。
 そのまま詰め寄ってこようとするのを、けれど八房に阻まれるよう。
「…お前は今、何のために生きている?」
 喧しく何か騒ぎ立てる信乃に煩わしげにため息を吐き、莉芳は一つ、問いを放ってやる。
 それに返る答えは、酷く単純。
「死にたくなかったから。生きたかったから」
 それ以外に何がある、と。
 問いの意味こそ疑問だと言わんばかりに、きつく眉間が寄せられる。
 それでも、ぬばたまの瞳が真っ直ぐに莉芳を見据えてくる。
「…後で荘介にでも聞いてみろ」
 その答えに、馬鹿にしたようなため息。
 噛み付いてくるかと思った相手が、本当に心底から不思議そうな瞳であるのに、莉芳はもう一度ひそりとため息を吐いた。

日記ss再録.