会いたかった




 緑の匂いが、色濃い。
 夏にあって冷やりと湿りを帯びた清涼な空気が満ちる中、青年は一人、黙々と歩を進める。
 美しい青年だ。
 黄金とも亜麻色とも見える色素の淡い髪に、縁取られる白皙の面は端麗で、けれどそこにあるのは艶やかさよりも潔癖さ。
 そして、空気を震わすほどの不機嫌。
 それでもなお、その美貌は損なわれることなくいや増すほどであるが。
 黙々と、道なき森の道をまるで一本道の街道のように迷いなく進んでいくその青年の足が、ふと、止まる。
 特に代わり映えのない。
 下生えと、腐葉土と、ずしりと貫禄のある様々の木々が溢れるだけの。
 しかし、青年の足は漸く目的地に着いたといわんばかりにそこで停止し。

 そして。

「信乃」

 名を、呼ぶ。
 少女の、幼名のような。
 古き土地の名から付けられた、その名を。

「…にぃに…?」

 名に応じて、高い声。
 掠れ、喘ぎ苦しむような、途切れ途切れの幼い声。
 それは青年のよく知る。
「…何をしている」
「…っ、にぃ…に…!」
 下生えが揺れる。
 まろぶように、ひどく頼りない足取りで転がり出てきたのは黒髪の子供。
 草染めの小袖を纏っただけの、一目で庶民と知れる、けれどその黒髪の美しさや泣き濡れた愛らしい面はその雰囲気に馴染まぬ。
 何より、その病的なまでの肌の白さが。
「にぃ…!」
 転がり出てきた子どもは、高い声で青年を呼ばうと、その真白の洋装の足元に体当たりのようにしてしがみ付く。
 幼い子供の身体と言えど、その力と勢いは結構なもののはず。
 けれど、青年は揺らぎもせず、ため息と共にそれを受け止める。
 それは青年がある程度鍛えられていることよりも、覚悟を決めていたことよりも、何よりあまりに子供に体力が残っていない所為だ。
「信乃?」
 しがみ付いたまま、押し付けられる身体が尋常でなく熱い。
 涙の嗚咽の合間に咳などは窺えないが、それでもこの身体の弱い子供が随分と拙い状態であるのは確かなようだ。
「…にぃ…」
 抱え上げようと、伸ばした腕。
 その腕に持ち上げられた幼い顔が。
 涙に濡れたまま、ひどく澄んだ、鮮やかな安堵に満ちた笑みを浮かべ。
 そのまま子供は、意識を失った。

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