cigarette




「真也」
 名を呼ばれる。
 普段より心持ち低く、響きの甘いような。
 背に掛かる重みと首元に巻きつけられる腕に軽くため息を吐きながら、真也は集計していた紙の束を机の上に放る。
 そのまま、自然な動作で首筋から顎へと辿りにきた指先に、手慣れた風に度の弱い眼鏡を持っていかれて。
 瞬間、変化した明度と視力に目を眇める間に、逆の手に顎をすくわれ、そのまま唇を塞がれる。
 全ての動作に無駄と思える所はなく、流れるような所作にいったいどれほどの相手と経験を積めばこうなるのかと、霞み始めた思考の中に、埒もない考え。
 合わせられた唇。
 舌で辿られて、求められるままに薄く開けば、器用な舌先が簡単に歯列を割って、口内に。
 にがい、と。
 文句を言おうとするけれど声にならず、後はもう、何も考えられない。


 はあ、と。
 漸く開放された唇から、熱く濡れた息。
 反っていた首が、少し痛い。
 ぼんやりと、緩やかに戻ってくる思考の最中、ふと口内に残る苦味に眉を寄せる。
「…煙草」
「え?」
 口内でのみ呟かれた声に、聞き返す声。
 逆さに見上げる央生の顔を潤んだ瞳で軽く睨みながら、真也はもう一度、今度ははっきりと声にのせる。
「煙草、吸ってるのか?」
「あ?うん。ああ、苦かった?」
 さっき吸ったばかりだったから、と。
 少し後ろめたそうな、ばつの悪そうな笑みを見せる央生に、
「即刻やめろ。百害あって一利なしだぞ」
「1、2本だし、死にやしないよ。――苦いの、嫌?」
「そういう問題じゃない」
 感情の色の乏しい漆黒の瞳が、きつい色を点す。
 それに困ったような笑みを返すだけで、応じる風を見せない相手に、真也の眉が更に寄せられる。
「央生・・」
「真也が、もっとキスさせてくれるなら」
 そう言って、もう一度、触れるだけのキスを唇に落とされる。
 そのまま扉に向かって生徒会室を出て行く央生を見送るでもなく目で追い、一つため息を吐いた真也は気を取り直すように机に向き直る。
 苦いのが嫌なわけではないけれど、と。
 思いながら、口内に残る後味の悪いような苦味に軽く眉を寄せながら、折り畳まれた自らの眼鏡を掛け直す。
 再び流れ出すのは、自らの紙を捲る音すら耳につくような、静寂だ。