結目―ユメ― <双調之月>「あっれー?何か見覚えのある姿だー」 梅雨の最中。 しとしとと言うにはいささか降りの強い雨を前に玄関に立ち尽くしていた央生の背後から、鬱々とした雨さえも振り払えそうなよく通る明るい声が響く。 聞き覚えのあるその声に振り返るより先に、視界に滑り込んでくる鮮やかな黄金。 「久し振りー。どしたの、なおきん?」 「あ、やっぱアンタか、会長サン。や、雨が…って、なおきんって俺のことか?」 「真柴央生でしょ?だから、なおきん」 君以外に誰の名前だっていうのさ、と。 青い瞳を笑み細めて堂々と言い切られれば、反論の言葉さえ浮かんでこない。 初めて会ったのは、半月ほど前。 それ以来特に会うことも会話を交わすこともなかった二人であるが、どうやら力関係は初対面の時点で歴然としてしまっていたらしい。 「にしても、本当に久し振りー。同じ校舎にいるのにクラス違うとなかなか会えないもんなんだねぇ、やっぱり」 「まぁ、広いしなーこの学校。それに結構、クラスの垣根が高いから」 苦笑混じりに央生が肩を竦めてみせるのに、 「基本、家柄ごとにクラスを割り振っていくからね。ま、それでも昔より大分マシみたいだけど」 他クラスの人間とは話すことさえできない時代もあったらしいし、とこちらも肩を竦めながら正人が応じるのに、へぇ、と央生が感心するような声。 そのまま特ににどうということのない会話を交わしていた、途中。 「御来訪寺?」 会話を遮るような強引さでなく、通りよい声が割り入る。 響いた声に、央生と正人が同時に振り返り。 「あ、真也」 声の主を認めて、呼ばれた正人が数歩離れた位置でこちらを窺うらしい真也の方へと軽い足取りで寄っていく。 話し相手を失った央生は何とはなしにその背を目で追い、見るともなく二人を眺める。 御来訪学園高等部1年の、生徒会長と副会長。 初対面の時にも感じたが、何とも対照的な二人だと、思う。 光を纏うような鮮やかな蜜色の金髪と、烏の濡れ羽のようなつややかな黒髪。 晴れた空とも明るい海の色とも似たまるみの強い蒼碧の瞳と、星も月もない闇空を切り取ったような切れ長の漆黒の瞳。 高1にしては小柄過ぎる身体と、細身ながらも平均身長は楽にあるだろう身体。 何より表情を含めたその纏う雰囲気が、並ぶことに違和感を覚えるほどに、異なる。 「真柴央生?」 「ぅおわ!?」 ぼんやりとしていたせいか、突如耳を打ったフルネームに、央生は思い切り驚きの声を上げる。 激しい動悸を刻む胸に手を当てて声の方を見やれば、こちらも央生と同様驚いたらしい真也の姿。 ただ、やはりというか表情自体は瞳をわずかに見開く程度のものだったが。 「あ、悪ィ。ぼーっとしてた。…あれ?会長サンは?」 「御来訪寺なら帰ったぞ?元々俺は理事長に頼まれてアイツを呼びに来たから。…そういえば、お前は?」 「え?」 「いや、帰らないのか?それとも、御来訪寺に何か用だったのか?」 それならば、伝えておくが、と。 律義に尋ねてくる相手に、央生は小さく苦笑を漏らす。 「や、アイツとはここでグーゼン会っただけ。帰んないのは…」 あれのせい、と玄関の向こう、降り頻る雨を顎で示す。 「傘、盗られちまってさー。結構雨、酷いだろ?やまねーかなーと思って」 「ああ…今朝は晴れていたからな。持って来てない生徒も多かっただろうし。盗難届、出しとくか?」 「や、さすがにそれは面倒だからいーや。どーせビニ傘だし」 「そうか。…で、どうするんだ?雨は今のところ週末までやむ予定はないようだが」 「え、マジ!?」 淡々と向けられる内容に、央生は頭を抱える。 どーすっかなー、と心底悩むようにその場で蹲ってしまった相手を不思議そうに眺めながら、真也は更に言葉を続ける。 「……俺は、帰るぞ」 無情といえばあまりに無情なその一言に、央生は勢いよく立ち上がる。 「見捨てる気か!?ここまで俺の事情聞いといて見捨てる気なのか、アンタ!?」 せめて、途中まで入れて行こうか、の一言くらいあってもよさそうなもんだろ!?と。 すごい剣幕で詰め寄れば、真也は言われている言葉の意味が分からないとでも言うように、驚きながらも首を傾げてみせるよう。 「…?何の話だ?」 「だ・か・ら!傘持ってんなら、それくらい言うのが人情ってもんだろ!?って話で…!!」 激した言葉の語尾を捉えるように、静かに真也の声が重ねられ。 「………は?」 そして、告げられた言葉の意味を今度は央生の方が理解できずに固まる。 「だから、俺も今、傘を持っていない。従って、申し訳ないが傘に入れてやることはできない」 分かったか、と念を押すように告げられるのに、はい、と央生は反射的に言葉を返してしまう。 「では、俺は帰るぞ?」 「おう、じゃーな…って、」 そのまますたすたと歩き去ってしまう、姿勢良い背中を思わず呼び止める。 「何だ?」 「あ、や……。……濡レテマスヨ?」 雨の中振り返る相手に不思議そうに問われて、告げるべき言葉を見失った央生の唇の紡いだ言葉は、何とも間の抜けたもので。 「雨が降ってるからな」 が、返ってきた真顔の真也の返答も、間抜けと言えば余りに間抜けなもの。 「…どうした?」 面を伏せ、肩を震わせるようにして必死に笑みを噛み殺す央生の様子を不審に思ってか、真也が訝しむような声。 それに、更に吹き出しそうになる衝動を何とかやり過ごし顔を上げた央生は、目の前の相手に笑顔で尋ねる。 「なぁ、俺も一緒に帰っていいか?」 一瞬、不思議そうにその漆黒の瞳を見張って。それから、微笑むと言うにも余りに淡く和んだ瞳。 雫に潤んだ双眸が、夜闇の色というより、それを映す澄んだ水面のよう。 作り物めいて整った、白い額や頬に張り付く黒髪が、濡れて更に艶を増し。 水で肌に張り付く夏服のせいで余計に映えて見える立ち姿の、潔い風情。 「ああ」 律義に返された返事に玄関からあれだけ躊躇していた雨の中へ踏み出しながら、何だかとても綺麗なものを見付けた気がして、央生はもう一度微笑んだ。 |