殺戮、或いは終わらない破壊




 時々酷く、不安になるのだ。





 夜更け。
 今日は互いに日勤で、夕食も既に摂り終えた。
 特に緊急の呼び出しがある風もなく、就寝にも未だ早いよう。
 ぽっかりと空いてしまった、寮では久々の二人だけの静かな時間。
 響くのは、橋爪がファイルを整理をするノートパソコンの、冷却ファンとキーボードを叩く音と、ソファに寝そべって資料を眺める西脇が、紙を捲る微かな音。
 静寂というほどではなく、けれど静かな。
 甘いわけでなく、けれど酷く落ち着く空気。
 けれど時々、酷く不安になるのだ。
「紫乃?」
 突然落ちた影に、西脇は資料を眺めていた視線を上げる。
 仰向けに体を伸ばした西脇を、頭の方から上下逆さに覗き込む、見慣れた同室者の顔。
 部屋の明かりに逆光になって、その表情はしかとは知れない。
 橋爪の指が伸べられる。
 西脇の頬に添えられ、そのまま橋爪の顔が逆さに近付けられる。
 そして、上下逆さに合わせられる唇。
 普段と違う感触に違和感。
 それでも、離されることなく重ねられたままで。
 深めるでもなく、けれど間に挟むものなく、合わせられ。
 …どれほどの、時が経っただろう。
 気付けば、伸ばされた西脇の腕が首筋に回り、その指が橋爪の柔らかな髪を宥めるように撫でていて。
「……あ、」
 離れた唇。
 隙間に、流れ込むように冷えた空気が、温もりを帯びていた唇を冷やす。
「紫乃」
 どうしたの、と。
 吐息の強さで紡がれる言葉は、けれど歪むことなく橋爪に伝わる。
 冷えた唇に、淡い吐息の温もり。
 宥めるように髪を滑る、優しい指先。
「………何でも、ないんです。本当に、何でも………」
 震えるような声音で。
 訝しむような、見透かすような西脇の瞳を、けれど臆することなく見据えて。
 本当に、理由などないのだ。

 腕を引かれる。
 そのまま、温かな腕に抱き締められる。
 いつの間にか強張っていた身体が、ゆるゆると解けていく。
 ほう、と。
 唇から零れるため息。
 西脇の背に、どこか怯えるように橋爪の腕が回される。

 本当に、確たる理由などないのだ。
 ただ。
 時々、何の前触れもなく。
 不安というにはあまりに重く、押し寄せてくる何か。
 失えない。
 だからといって、その為に手放せるかと問われれば、否としか、言えず。
 けれど失うことを知ってしまった心は、きっともう耐えられはしない。
 だから、きっと。
 自らの内を喰らい尽くそうとする、この病巣にも似た想いを、飼い続けるしかないのだ。


 きつく、縋るように橋爪の指が、西脇の背に立てられる。
 縋るように。
 …逃さぬように。


title by 中途半端な言葉(閉鎖)