夜明けの匂い照明の落とされた薄暗い室内に、パソコンのディスプレイの発する光だけがぼんやりと浮かび上がる。 寝起きの瞳でそれを眺めて、それからベッドの上に横になったまま、橋爪は聞こえないほどの大きさで溜息を吐く。 薄青いような、ディスプレイの光。 余り大きな音を立てず、けれど休むことなく響くキーボードを叩く音。 それらを操るのは、最早見慣れた同室者の広い背中。 ゆっくりと横を見遣れば、使われた形跡のない綺麗なままのベッド。 もう一度、余程集中しているのかこちらの起きたことにも気付かない背に溜息を零し、静かに床に足を下ろした。 「……紫乃」 背中越しに、温もり。 伸ばされた指が、髪を掬いにくる。 そこから、頬に触れてこめかみに滑り、首筋を辿り、肌蹴た襟元へ。 睡眠不足の、火照ったような高い体温の指先。 「西脇さん」 カップを温めていたお湯を流しに捨て、台に置く。 それから、動き続ける指先を押し止め。 「…西脇さん」 濃い茶色の液体が、静かに一滴一滴落ちていく。 空気に漂う、独特の芳香。 「おはよう、紫乃」 「………」 「紫乃?」 「……今日まで、ですよ」 見逃すのは。 もう、五日はまともにベッドで寝ていない相手を振り仰ぎ、そう告げれば。 「………珍しい」 滅多に表情を変えない相手が、意外そうに目を瞠る。 それに、どういう意味だと首を傾げて、 「何が、ですか?」 「いや、紫乃がこのことについて甘いのが。いつも、一日でも徹夜すると怒るのに」 「……まあ、今が忙しいのは分かりますし……」 言われて、わずかに口篭もる。 確かに、甘い自覚はないでもない。 その理由の心当たりも、また。 「Dr.、石川には甘いよね?」 見透かすように言い当てられ、ため息。 数日前から連続して襲ってきている、国会を狙ったテロ。 数に任せたものを中心にしているが、その標的はあからさまなまでに石川で、加えてコンピュータ系統への妨害も激しいため連携もとり難くなり、苦戦を強いられている。 そして昨日、石川がとうとう負傷した。 銃弾が深く掠めたという程度のものだが、岩瀬がSPについてからほとんど負傷がなかったため、隊員の、取り分け岩瀬の動揺は大きく。 それらを鑑みた結果、不本意ながら前線から離れることとなった石川の議事堂外での指揮の役割は、いきおい外警班長である西脇が全面的に引き継ぐことになったのだ。 疲労はきっと、普段の数倍。 それでも、隊員たちの前では西脇は疲れたような素振りも見せない。 恐らくは、同じくほとんど休息らしい休息を摂っていないだろう石川や、岩瀬も。 「そろそろ黒幕の目星がつきそうだから、何とかなるさ」 「そう、ですか」 西脇の言葉に、思わず安堵の声が漏れる。 西脇も岩瀬もよく見れば疲労の色が窺えるが、それよりも更に、警備隊の教官であり、負傷もしている石川の疲労の色は、濃い。 本当は今すぐにでもドクターストップを掛けたいくらいであるが、今石川を欠くわけにいかないことは、一番戦闘から離れている医務班の自分にも、分かるから。 「石川のこと、よろしく」 「え?」 「今、気力だけでもってるような状態だから。多分、全て片がついたら、一気にくる。…城教官の頃にも、似てるし」 今の状況が、と。 言われて、そういえばと遠くもない昔の警備隊の様子を思い出す。 頻発していた、数に物を言わせるような質の悪いテロ。 簡単な銃火器だけを武器とするような、肉弾戦に近い戦闘。 原因こそ異なれ、ままならない連携も、冷静を欠いて指示に従いきれない隊員たちの様子も、酷く当時の様子と酷似している。 そしてそこここに仕掛けられる爆発物は、火薬の量は少ないとはいえ、まざまざとあの頃の、当時の教官の死に際を、思い起こさせるもの、で。 「乗り越えたといっても、そう簡単に忘れられるほど図太くできてないから」 「分かりました。それから岩瀬や班長たちもです。西脇さんも含めて」 「……警備隊、機能しなくならない?」 「自分の部下も信じられないのですか?」 忘れることなく加えられた自分の名に西脇が軽く眉宇を顰めて言うのに、橋爪は取り付くしまもなく切り捨てて見せる。 長いような会話の間、ふと見遣れば濃い色の雫はもう落ちきったようで。 橋爪の長い指が、手際よく二つのカップにコーヒーを注ぎ分ける。 淡い朝の光に黒く揺らぐ、濃い目のコーヒー。 身体ごと振り向きながら差し出せば、困ったような、けれどどこか飄々とした苦笑顔。 それは、ここ数日繰り返される、朝の風景。 yiyle by 中途半端な言葉(閉鎖) |