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「ったく…何だって………っ!」
 目の前の相手の脇腹に肘を叩き込み、振り返る間もなく身を低くすれば、頭上で鋭く空気を切る音。
 高い位置への蹴りをやり過ごされたたらを踏んだ足元を払い、体勢を立て直しながら、前のめりに倒れる相手の勢いを利用して後ろ首に手刀を落とし、右手の死角となる辺りから襲ってくるらしい人影に向かって、その身体を放り投げる。
 咄嗟に受け止めようとするのを横目で確認して、逃げようとする背を追い、そのまま首に腕を回して引き戻す要領で力を込める。
 一秒にも満たない間を置いて意識を落とすのをおざなりに確認し、勘だけで横ざまに飛び退けば、一瞬前まで自分の立っていた辺りにインクの染み。
 転がるように避けながら、インク弾の飛んで来た方、先ほど足を止めただけの相手の方に向かい合う位置を確保して、低い体勢のまま距離を詰める。
 一瞬動揺するらしいが、それほど短くない距離を詰める間に平静を取り戻し、銃口が違わずこちらを狙いにくる。
 それを見て、今度は上体を捻るように避け、そのまま勢いを殺さず相手の銃を持つ手の脇を擦り抜ける。
 さすがに予想外だったのか、小さく声を上げた相手が振り向くより先に、背後から右腕を捻り上げて軽く関節をずらす。
 軽く、といってもそうそう身動きが取れる程度の痛みではないが。
 そこに至って石川は漸く一息吐き、周囲に倒れる人数を確認する。

 七人。

 襲われた時咄嗟に数えた人数には三人ほど、足りない。
 思わず眉を顰め、石川は周囲に目を向ける。
 非常階段近くのそれほど広くはない廊下。
 けれど柱や植木など、障害物となりそうな物はそこそこある。
「厄介だな……」
 ホルスターに手をやりながら、小さく漏らす。
 視線は周囲に向けたまま。
 意識は研いで。
 探る気配は、わずかだが近くに感じられる。
 互いに向けた意識が、張り詰めるような緊張感。
 その空気自体は決して嫌いなものではないけれど。
「っ、!?」
 突如思わぬ方向に感じた気配に、反射でホルスターにかけた右の手で銃を引き出す。
 そのまま、銃口だけを気配の方へ。
 視線は向けることなく引き金を引けば、横合いの非常階段から現れた影が慌てて避けるようなのが目の端に。
 と。
 それを好機と判じてか、先ほどまで均衡の保たれていた相手の方からも、姿を現さないまま銃を向けられる。
 続け様に撃たれるのを辛く避けるが、非常階段の側にも人がいるとなると逃げ場はそう多くない。
 舌打ちしたい気分で、とりあえず何か遮蔽物をと視線を泳がせるところに。

 突然の力で腕を引かれる。

「、ぅわ!?」

 非常階段の、入口の陰。
 思いがけない力に逆らうこともできず、そのまま床に倒れこみそうになるのを引かれた腕と同じ腕に支えられる。
 瞬間閉じかけた瞳を上げれば、目の前には見慣れた顔。
「…西脇」
 思わず声の高くなりそうになるのを何とか抑えて、相手の名を呼ぶ。
『大丈夫か?』
 声に出さずに聞いてくる相手に、石川も唇の動きだけで応じる。
『……まあ何とか。助かった』
『いえいえ。で、何があった?』
 入口側に立つ西脇の隣で軽く乱れた息を整える石川に、西脇は廊下の様子を窺う格好のまま問いを向ける。
 その問いに、寄せられる石川の眉間。
 見えずとも気配で察したのか、西脇が軽く視線を流してくるのに、石川は渋面のみを返す。
『…何人?』
 それだけで事情を察したらしい西脇の問いは、前後の繋がりのを全く見えないもの。
 その察しの良さに頭を抱えることもしばしばだが、今は有り難い。
 いくら初めてのことではなくとも、コミュニケーションゲームとはいえ、よりによって勤務中に男に襲われかけたなどあまり進んで口に出したい事柄ではない。
 視線をこちらに向ける様子のない相手に、石川は小さく声に出して返す。
「咄嗟に数えた時は十人だと思ったから…多分あと三人」
『珍しい』
 確かに、自分が大人数とはいえ襲ってきた相手を取り逃がすのは珍しいことだが。
 主語のないその、意味不明とも取れる言葉の意図が、けれど手にとるように理解できるのが今更ながらに不思議だ。
「狭かったし」
『やっぱり銃はまだ慣れない?』
「お前よりはマシだ」
『……ばれてる?』
「何となく、だけど」
 岸谷さんも気付いてると思う。
 声に出さない続きの言葉に、西脇の瞳が微かに苦々しげにすがめられる。
「インクガン、なんだけどな」
 ホルスターに入ったままの銃に触れる右の手に、力を込めながら呟かれる言葉は、自嘲を含んだもの。
「慣れればいいってもんでも、ないだろ」
 小さく、けれど芯の強い声音が低く返してくる。
 どこか、自らに言い聞かせるような響きを孕んだ言葉。
 その表情を確かめるより先に、銃を握ったままの拳に軽く合わせられるらしい相手の拳の感触。
 その行為に、西脇の表情が微かに和らぐ。

 が。
 唐突に、その瞳に浮かぶ色が切り替わる。

 どこか柔らかな雰囲気を残していたのが、硬く冷えたものへと。
 ほとんど間を置かず、石川の瞳にも鋭い光。
 入口の向こう。
 隠れていた気配が、動くよう。
 視線だけを、互いに見交わす。
 それだけで、考えていることを、伝え合う。
 読唇術を使うより格段に早い意思の疎通。
 いつも周囲に不思議がられる手段だが、分かるものは分かるのだし、としか互いにも言いようがない。
(…どうする?)
(逃げるにしても、非常階段じゃ分が悪いな…)
(迎え撃つか?)
(……ああ)
 歯切れの悪いような雰囲気に首を傾げれば、その視線がわずかだけ下へと流されるよう。
(…石川一人じゃ、危なっかしい)
 お前だけでも逃げるかと、告げて寄越す視線だけの問いに西脇は瞳に苦笑を浮かべる。
(……どういう意味だ)
(だってあいつらの狙いはお前だろう?)
(そこまで弱くないっ)
 見返してくる瞳に浮かぶ、強い光。
 思わず従ってしまいそうになる、その色。
 けれどそんな雰囲気はおくびにも出さず、分かっているけどというように小さく肩を竦めて見せれば、逃げる気のないことを悟るのか、石川の愁眉がきつく寄せられる。

「…足は引っ張るなよっ!」

 言い捨てるように言い置き、西脇の前を擦り抜けるようにして、廊下へと。

「……何を今更」

 一瞬あっけにとられ、しかし間を置くことなく返す相手の既にない言葉を返しながら、西脇も廊下の方へと足を向ける。