2.意志か意地か




『西脇っ!石川いるかっ!?』
 高く耳障りな電子音。
 風呂上りに鳴り続けるそれに気付き手に取れば、こちらの応答を待つことなく怒鳴りつけるような知った声。

 その内容に、西脇はその切れ長の瞳を眇めた。





******





「3日くらい前から、声明は来てたんだよ」
 ほとんど引っ掛けるだけのようにして着込んだシャツと上着のまま、インカム越しの声の主に居場所を聞いて辿り着いたのが、つい1分前。
 未だ真新しさの残る、開発班室。
 その片隅で、声を高くしないよう必死に取り繕いながら、宇崎がそう切り出す。
「…聞いてないぞ?」
 仮にも外警の長を務める自分に回っていなかった話に、西脇の眉間に浅からぬ皺が寄る。
 そんな西脇の様子に宇崎が小さく知ってる、と返すのに更に眉間に皺が寄せられるが。
「西脇だけじゃないよ。教官も、誰も知らない。石川に直接来たものなんだ」
 俺今月、寮長だったからさ。
 続ける言葉に、けれど西脇は未だ首肯しかねるよう。
「にしたって、石川が報告しないってのは…。大体お前も、」
「悪かったって。石川に止められてたんだよ。…それに、何だか…」
 言い淀む言葉の先を、西脇の強い眼光が無言で促す。
 その眼光に押されたわけでもないだろうが、宇崎の重い口が再び開かれ、
「……何だか、送り主に心当たりがある、みたいな風で……」
 歯切れ悪い、答え。
 それは、普段の石川を知る者ならあり得ないだろうと一笑に付したくなるような内容だ。
 彼が、個人的に恨みを買っているなど。
 否、どちらかと言えばそれに心当たりがある、という部分か。
 本人が如何に優れた人物であれ、買う恨みという奴はある。
 優れていれば優れているだけ、それは深くある人物の内には根を下ろす。
 所謂、逆恨みという奴だ。
 そして石川は、正しく無自覚に妬み謗りを受けやすい人格や立場、ではあるのだ。
 けれど。
 無自覚であるが故、加えて本人の性格もあり、石川がそれに気づくなどということはほとんどない。
 ほとんど、というより今までの経験則から行くと確実に、だ。
 しかし。
 しかし、それを告げて寄越すのが、この宇崎という男であるというのなら?
 人一倍勘と観察眼の鋭い、宇崎がそう、言うのなら。
「…どうして、攫われたと思った?」
「来てた手紙はさ、何て言うか…国会に対する粛清、みたいな内容だったんだよ。ただ、少しおかしくて、石川を崇拝してる節もあった」
「石川が守る価値もない、って?」
「…そう」
 吐き捨てるに近い西脇の言葉に、返る宇崎の呆れとも、諦めともつかないため息に宿るのは、憤りに近い哀しみ。
 あの、潔い澄んだ色の瞳に映されていたものを。
 あのしなやかな背が必死で、腕を伸ばしてまで守り、庇っていたものを。
 知らぬままにか、それでも知っても尚か、踏み躙ってしまうその言葉の、見当違いな傲慢さ。
 相対するテロリスト達は常に崇高なれ卑俗なれ――判断基準はどうあれ――持っているそれではあるが、身近い相手に対してなされるそれは、常以上の憤りを感じさせるもの、で。
「で?」
「え?」
「どうして攫われたと思った?」
「あ、うん。…今さっきまで、郵便物のチェックしてたんだよ。そこに、同じような郵便物があったから、石川に連絡しようとしたんだ。だけど、石川が出なくて。…それで、悪いとは思ったんだけど…嫌な予感がして。開けて、みたんだ」
 言って、手に渡されるのが長方形の横型の、真っ白な封筒。
 表書きには、寮の住所と石川悠様との宛名。
 裏に差出人を示すものはなく、ただ開封された跡だけが窺える。
 封筒ごと差し出された薄い布で、器用に中を探れば、ただ1枚、薄い紙。


『ハルカは救い出した』


 切り抜き文字を、ご丁寧に再度コピーした文書には、それだけが綴られていた。