何気ない




「あ、お帰り」
 本を読んでいた顔が上げられ、こちらを見て。
 それから何気なく、本当に自然に掛けられた声に、ひどく驚く。
「……ただいま」
 返す言葉に、間。
 瞬間息を呑んだ音は、どうやら相手にまでは届かなかったらしい。
「遅かったな。何かあったのか?」
「ああ。S門の植え込みの影に爆発物が投げ込んであって。他にもないか捜索してた」
「お疲れ様」
 くす、と。
 口の端にきれいに刷かれる、労わるような笑み。
 交わされる会話は普段通りの淡々とした、気心の知れたもので。
 最近漸く身体の慣れてきた、激務と及んで差し支えない仕事内容。
 慣れないことだらけで、定時に上がれるようになったのはごく最近だ。
 仕事の後、自分の時間を楽しむ余裕ができてきたのも。

「…初めて、か?」

 制服を着替えながら、本に戻った相手の邪魔をしないように口の中だけで小さく漏らす。
 家族で暮らしていた時は、はっきりいって自分の記憶にもなければ、恐らくそういう事実もないだろう。
 訓練校に入って寮に入ってからも、多くはルームメイトと一緒に行動していたからあまり記憶にはない。
 海外研修などの研修時代も、同様で。
 だから。

 耳に馴染まない言葉と。
 舌に馴染まない言葉と。

 二つの言葉に、西脇が可笑しそうに一人笑むのに、気配に気付いた石川は不思議そうに声を掛ける。
「…どうした?」
「別に。何でもない」
 返す言葉にも、滲む笑み。

 耳に馴染まない言葉と。
 舌に馴染まない言葉と。


 それが日常となっていくのに、そう時間はかからないのだけれど。