「あ、綺麗!」
ひょこり、と肩越しに覗き込んできた宇崎の声に、室井は伏せていた顔を上げる。
その手元には、マニキュアの壜。
持っていた刷毛を一旦壜に戻してから、室井はもう一度宇崎に視線を合わせる。
「ありがと、宇崎。秋の新色なの」
「うん、秋色って感じ。いつも塗ってたっけ?」
「ううん。時々、出かける前とかだけ。明日ね、高校の時の友達に会うから」
久しぶりにね、と。
年相応の女性の顔で微笑む室井に、宇崎もへえ、と楽しげに微笑み返す。
「でも、久々だから慣れなくて。右手なんてもうはみ出しまくり!」
ほら、と差し出された右の指を見てみれば、確かに爪の縁の辺りに少し色がはみ出している。
そうして見てみれば、室井の細い爪は思うより小さく。
先ほど目にした刷毛の大きさと比べれば、かなり難しいことであることが知れる。
「あらら。確かに難しそう」
「そうよ!そもそも私、不器用だからこういう細かい作業向いてないのよ〜」
「利き手じゃないしねー。あ、俺塗ろうか?」
名案、という様子で声を上げる宇崎に、
「あ、そうよね!宇崎、手先器用だし」
お願い、と笑顔で右の手を差し出す室井だ。
******
「…何してるんだ、お前ら…」
寮のロビーではしゃぎ声を上げていた宇崎と室井に、西脇の呆れ声が届いたのは、そんなやり取りから半時間ほど経った頃。
二人して振り返れば、そこには呆れ顔の西脇と、困惑顔の石川の姿。
「西脇、石川。どっか行ってたの?」
私服姿の二人の様子に宇崎が首を傾げれば、
「食料調達。休日くらい不味い飯を食わずに過ごしたいからな」
「まあ、気持ちは痛いほど分かるわね。でも、誰が作るの?」
「俺だよ。良かったら、室井達も食いにくるか?」
「え、いいの?行く行く!」
「俺も!」
「…それより。何してたんだ、お前ら。寮中の噂になってるぞ」
そのままずるずるとずれていきかねない話題に、西脇は仕切りなおすように声を挟む。
実際、その奇妙な様子とシンナーのような臭いは、帰ってきたばかりの西脇と石川の耳にすら入るほどの噂になっていたのだ。
「え、ウソ!ちょっとマニキュア塗って貰ってただけだったんだけど」
「貰ってた?」
「そー。右手、塗りにくいって言うから俺、塗らせて貰ってたの」
「へえ。…でも、マニキュアなんて、初めて見たな…。こんなのなのか…」
「…何で宇崎の爪にも色が着いてるのか、俺はそっちの方が気になるがな」
「え?あ、本当だ。秋の色だな」
「……そんな問題じゃないだろう……」
どうしたってずれていく話題に、西脇は匙を投げたくなってくる。
「でしょー。秋の新色なの。石川も塗る?」
「いや、俺は…。料理もしなきゃいけないし…」
「大丈夫よ。これ、速乾性だからすぐ乾くし。石川、色白いから絶対似合うわよ」
「そうだよねー。石川指綺麗だし!」
「いや、だから…」
「大丈夫だってば。これ、色淡いからそんなに目立たないし」
「そうそう。俺も塗ってるんだしさ!」
延々続くやり取りは、結局、石川が折れるまで続いた。
日記ss再録.