「尾美?」
訓練校の、寮の部屋。
その扉の前の廊下に立って何かを眺めるような尾美に、後ろから声。
振り返れば、声をかけてきたのはルームメイトである石川で。
「石川」
「何してるんだ?入らないのか?」
首を傾げる石川に、尾美はいや、と小さく口の中で呟き、
「…石川の、名前」
「え?」
「下の名前。ユウって読むのか?」
「いや、違う。ユウじゃなくてハルカ。…ああ、尾美の名前はユウだっけ」
ネームプレートに目をやって、石川は納得したように続ける。
「そうだ。だから、一緒なのかと思って驚いたんだ。ユウなんて、男にそうある名前じゃないし」
「そうだな。ハルカも、どっちかといえば女の名前だけど」
「だろうな。…大体、この名前のせいで、子供の頃散々苛められたんだ。石川もそうじゃなかったか?」
「ああ、多少は…。でも」
「?何だ?」
途切れた言葉に素直な様子で首を傾げる尾美が、何だかやたらと可愛く見えて石川は軽く笑みを浮かべる。
苛められた理由は、きっと名前だけではないだろう。
「……いや。多分、苛められてたわけじゃないと思うけど」
笑みと共に続けられた言葉に尾美はからかわれたかとも思うが、浮かべられる笑みの柔らかさにふと毒気を抜かれる。
何より石川は、そういうタイプではなかったから。
ただ目の前の、以前の頑ななものと雰囲気の変わってしまったルームメイトの浮かべる笑みを、素直に綺麗だと感じて。
「そう、か…?」
「ああ」
******
「………あれ、止めてこなくていいか?」
「俺らがここにいるだけで十分抑止力になってるさ。大体そんなに不安なら、どうしてよりによって寮に一人で帰すんだ」
いつも、あんなの嫌がられても傍にいるのに、と西脇が返すのに。
「その虫を追い払うためにだよ。…全く、どこであんなに引っ掛けてくるんだか…」
康がため息混じりに返す。
「……全くだ」
思い浮かべる人物は違うまでも、西脇の相槌に滲む疲れたような色は、康のそれに強く共感するもの。
「そもそもあれ、自覚してると思うか?」
言いながら、康が視線だけで指し示す先には。
普段の刺々しい気配のない尾美と。
最近見られるようになった、柔らかな笑みを浮かべる石川と。
少なくはない数の廊下にいる人間の視線のほとんどが、並ぶ二人へと向けられていて。
「……絶対してないだろ。ただ、お互いには、分かってるんだろうがな」
逆に始末に終えないんじゃないか、と。
問うでもなく返される康の言葉を聞き流しながら、西脇は一度大きくため息を吐くとそんな二人の傍へと歩き出した。
日記ss再録.