「心亡」




「…さすがに、忙しいな…」
 ぽつり、と。
 落とされた、呟きにも似た言葉に石川は前に向けていた瞳を斜め後ろの西脇へと向ける。
 どこか戸惑うような、それでも真っ直ぐに向けられる琥珀の瞳に、西脇は軽く肩を竦めながらの苦笑顔だ。
「連鎖的に来るだろ?何日まともにベッドで寝てない?」
 石川、と。
 訊ねる台詞に疲れは滲まず、けれど気遣うというには軽い嘯くような口調。
 確かにここ最近、教官が確定していない不安定さを見越してかテロが連鎖的に相次いでいて。
 忙しいのは、紛れも無く事実。
 けれど。
 告げられた言葉は発する相手を疑うような、不似合いなもの。
 それにわずかに眉を寄せた後、石川のおもむろに持ち上げられた形良い手指が、さして早いとも思えぬ動きで、けれど違うことなく西脇の頬を、打った。
 ぺち、と。
 どこか間抜けな、打擲音。
「…小康状態だしな。休める時に休んでおけ、外警班長」
 後で、扱き使ってやる。
 強い瞳で言われるのに、けれど相手は飄々とした空気のまま動こうともしない。
「そう言う訳にもいきません、教官。補佐もSPもいない状態で誰が貴方を守るんですか」
 自分で守ろうともしないくせに、と。
 どこか皮肉るように言われた言葉は事実で、けれどそれ以上に何かが、石川の癇に障った。
 見据える親しんだ相手の顔は、皮一枚でいつもと変わりなく、苛立つように白皙の美貌が更に鋭さを増し。

「忙しい、なんて言う奴に今いて欲しいわけじゃない!」

 言葉が強い。
 眸が強い。

 何より、言い切るその意志が。

「救い上げたのは、踏み止まらせてくれたのは、お前達だろう!?」
 先代教官が殉死して。
 親のように慕い、尊敬していた相手を喪った悲しみに、気が狂いそうになりながら。
 なし崩し的に肩に圧し掛かってきた重圧に、潰されそうになりながら。
 何とか今、ここに立っていられるのは、間違いなく目の前の相手を筆頭とした、傍にいてくれた同期達のお蔭だ。 
 なのに。
「心を亡くしてまでなんて、守って欲しいなんて思ってない!」
 叫びというには、音は無く。
 けれどそれは、紛れも無く絶叫だったのだ。
 軽く見開かれた切れ長の瞳は、けれどすぐにいつものようにどこか人を食ったような光を浮かべて。

 その足が、その場を離れることは無かった。


日記ss再録.